以前、十八の誕生日に思い立った事。
それを今、実行している。
武者修行の旅。
足代は道場破りで凌いでみせよう、、、
とは言うものの、現代ではヘタに押し入れば警察沙汰になり兼ねぬこと。
そこは口八丁手八丁、数日の逗留を許して貰うことだけを条件に、
各地の剣道・柔道の道場を転々と。
その合間合間に名所旧跡を訪ね、
古き時代の日本を足で感じ、武神達の足跡を辿っている。
勿論、其処に在る
美味い物と温泉も忘れずに。
ついでに、ですよ?(真顔で頷き)
先ず向かったのは、甲州。
戦国時代。
盆地に息を潜めていた地方豪族が四方の山々を踏み越え、
武力を以って隣国を切取り切取りしながら作り上げた一大勢力。
豊かな土地の力と、豪壮をもって知られる地侍の力を纏め上げたのが、
清和源氏を祖とする
武田信玄である。
織田も豊臣も徳川も、この
甲斐の虎の存在が消えたからこそ、
天下取りを成し得た事は言うに及ばぬ事であろう。
甲府駅からそのまま北へ、真っ直ぐ。
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)と呼ばれていた信玄公の居館には、
その跡地に神社が建っている。
この脇には宝物館もあり、武田氏に纏わる重要文化財などが閲覧できる。
特に、家来筋の子孫が残して現存していた「風林火山」の旗の実物、
公家から賜った「吉岡一文字」の太刀などの現物の展示もあり、
なかなか眼福な時間を堪能できるようになっている。
館へ向かう大通り、町の造り、城として機能していた館周囲の造形。
この地を訪れるだけでも、武田氏の遺した威風は今も感じられる筈である。
さて、虎を尋ねたからには、、、
龍も、追わねばなるまい。
荒れ狂う北の海を背にし、雪深き山に棲む一匹の龍。
その巣は、此処に在った。
見事な山城である。
始めはノンビリ登れそうな錯覚に陥るが、
ひとたび角を曲がれば急激に道は細く、登る角度も辛くなる。
急峻な九十九折りの道、容易には越えられぬ谷のような空掘り、
そこから掘り出した土を盛り上げて築いた銃矢で迎え撃つ為の土塁、
攻め上がる道筋を計算し尽くして配置された曲輪の数々。。。
一つの山を城に見立て、大軍が押し寄せても如何様にも分断できるようになっている。
余程健脚で勢い勝った軍勢の鬼兵でも、
次々待ち受ける要害の障壁が、その気力を次第に吸い尽したに違いない。
…そう、気楽に登ってしまった私の影武者の如く。(息絶え絶え・笑)
やっと辿り着いた、二ノ丸。
「お台所」とも呼ばれており、平時の使い道が知られるが。
いざ合戦時ともなれば、上に見える本丸から丸裸状態で銃矢に晒されたであろう。
本丸に到着。(影武者は討死;;)
直江津を中心に広がる日本海と下越方面。
雄大に広がる越後(頸城)平野。
光ヶ原高原や妙高、やがて関東方面へと抜ける山間部。
そして、越中へと至る糸魚川方面。
ぐるっと見渡せるパノラマ景色が今、視界いっぱいに広がっている。
標高はたかだか180m程ではあるが、その眺望は見事の一言。
かつてこの景色の中に敵味方の旗を挿した軍勢が、
軍師が描く陣地絵図のように蠢いていたかとあれこれ妄想し…
ふっふっふっ……(腕を組み謙信公気分に浸りちぅ)
甲斐地方とは違い、常に小豪族の争いが耐えぬ此の地に於いて、
此処は中下越・甲州・越中方面の軍勢を見張る重要な拠点であったのであろう。
近い内に国営放送にて、次代の景勝と兼続の時代を描いた「天地人」が
大河ドラマとして放映されるという。
小説では冒頭、この山城の情景から始まっている。
龍の子孫が如何にドラマで描かれるか、私も愉しみにしておこうと思う。
また、このドラマで
謙信以来の上杉家の家風に興味を持たれた方は、
是非とも「天と地と」にて謙信の生い立ちを読んでみる事をお薦めしておこう。
ちなみに、周辺観光地の土産品は
「愛」一色であった。
「愛に生きた武将」という、何やら間の抜けた売り文句も見られましたが…
謙信が信仰した毘沙門天の「毘」同様、兼続は
愛宕権現の「愛」なのですよ?
と、わざわざ言うも無粋。
ま、好きに踊っていなさいな、と生温かく見守っておりました(笑)
威を以って他国を喰らい、総てを貪欲に呑み込むを生き様とした
甲斐の虎。
義を以って隣国を守り、己の翼力を越えてまで餌を求めなかった
越後の龍。
二匹の棲家を訪れ、軍神達の息吹をたっぷり吸い込んだ私は、、、
二つの聖地で
ついでに癒しと味覚をたっぷり己が身に染み込ませていた。
…ついでに、ですよ?(視線逸らし)
此処からは実家も近いので、墓参りがてら一度帰省してみましょうか。
はてさて、そこから何処に向かいますかね……(温泉雑誌片手に悩み)